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コラム

紋日と和菓子  『端午の節句』

端午(たんご)の節句は、もともと中国の戦国時代、紀元前二七八年、楚(そ)の高名な詩人、屈原(くつげん)は国王の側近として仕え、人々からも慕われていました。しかし、陰謀のため国を追われることになった屈原は、ついに汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。その日が五月五日。屈原の死を悲しんだ人々は、たくさんの粽(ちまき)を川に投げ入れて供養したのが始まりです。

  日本では、奈良時代から続く古い行事で季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄をさけるための行事が行われていました。古く中国では、この日に薬草摘みをする風習があったことから、日本の宮廷でも様々な行事が催されました。厄除けの菖蒲をかざり、皇族や臣下の人たちには蓬(よもぎ)などの薬草を配り、また病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式も行われたようです。現在でも、端午の節句のお飾りは地方によって様々です。鎧や兜、武者人形、馬や虎や若武者の人形、鯉のぼりや旗のデザインもそれぞれの個性があるものです。

端午の節句の食べ物は柏餅や粽(ちまき)ですね。これらは、日本で最も古いお菓子の形を残したものと言われています。

  『柏餅』
  柏餅が日本の歴史に登場したのは、寛永年間(一六二四~一六四四)頃のようです。柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないという特徴があるので、「子供が産まれるまで親は死なない」即ち「家系が途絶えない」という縁起に結びつけ、「柏の葉」は「子孫繁栄」につながります。中国から渡ってきた行事にしては珍しく、柏餅は日本で生まれた食べ物だったと言うことです。

  『粽(ちまき)』
  柏餅が日本オリジナルな一方、粽は中国の行事とセットで日本へ伝わってきた習慣です。中国は戦国時代、先に述べた屈原(くつげん)のお話の通り、粽は供養のため川に流し、またこれが粽の始まりといわれています。屈原の故事から中国では五月五日の節句には、節物として粽を作り、親戚や知人に配るという習わしが生まれました。そしてこの風習は、病気や災厄を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われています。

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